2015年08月14日
【夏休みの避暑キャンプ】国民休暇村裏磐梯 2015.08.10~08.13 (その2)
前回の続きです。
2 日めの朝。涼しい朝でした。
朝食はホットサンドとアイスコーヒーで終わり(笑)。
この後会津若松に観光に行きました。
途中で今の時期無料の磐梯ゴールドラインで磐梯山を越えました。
「こがね平」は曇っていまして磐梯山の爆裂火口はよく見えませんでした。
その後は雲の中を車で走りまして磐梯山越え。
磐梯山を下りたら道の駅ばんだいに寄りました。
ココで昼食のおにぎりやお弁当、9 個 200 円だった会津トマトを買い、蕎麦ソフトクリームを食べて会津若松に移動しました。
会津若松では、今年改築 50 周年の鶴ヶ城(会津若松城)ではなく飯盛山に行きました。
私にとっては小学校の修学旅行以来、ちょうど 30 年ぶりに訪れた飯盛山でした。
ここで旧会津藩のため、日本のために亡くなられた白虎隊士 18 人のお墓と旧会津藩約 200 人の女性達を祀った慰霊碑に一礼をして写真撮影しました。
白虎隊は会津の街が戦火に遭っているのを鶴ヶ城が燃えていることと勘違いして自刃したわけではなく、実際は会津が敗れたことに責任を感じて自刃したそうです。合掌。
白虎隊自刃の地を見た後はさざえ堂に寄りました。時計回りに塔を上っていくと頂上で下りになり、今度は左回りに下りて出口。不思議な建物でした。
・・・あえて書いておく、こういう貴重な文化財産にも落書きをするバカ。同じ日本人として恥ずかしい。
さざえ堂から少し下った場所にある猪苗代湖から水を引いている用水路に、白虎隊はこの洞穴を泳いでここまで逃げてきたんだ、と思いを馳せました。
会津の気温が 30 度を超えたところで汗だくになった我が家は会津若松駅すぐの富士の湯でリラックスしました。大人一人 400 円でいろいろな種類のお風呂に入れるおトクなスパでした。
富士の湯の後はひたすら上り坂。標高 800 m の休暇村裏磐梯に戻りました。会津若松の気温 32 度から裏磐梯 27 度に一気に戻りました。
キャンプ場に戻ったら夕焼けの磐梯山を眺めながら早速お酒。
会津トマトは冷やして丸ごと食べました。超まいう~でした。
父ちゃんがお酒を飲んでイイアンバイな間に女性陣はカレー作り。
今回食べたカレーはお世辞抜きで私の人生の中で一番美味しかったカレーでした。
家族が作ったカレーと、大好きな国民休暇村裏磐梯キャンプ場の雰囲気もあったのでしょうけれども、ホントにまいう~でした。
夕食後はお決まりの花火。
この時私は娘から「戊辰戦争って何だったの?」と聞かれまして、どのように説明すれば理解してくれるだろう・・・と物語風に説明しました。説明を聞いていた娘は泣いていました。理解してくれて良かった。
つづく。
2 日めの朝。涼しい朝でした。
朝食はホットサンドとアイスコーヒーで終わり(笑)。
この後会津若松に観光に行きました。
途中で今の時期無料の磐梯ゴールドラインで磐梯山を越えました。
「こがね平」は曇っていまして磐梯山の爆裂火口はよく見えませんでした。
その後は雲の中を車で走りまして磐梯山越え。
磐梯山を下りたら道の駅ばんだいに寄りました。
ココで昼食のおにぎりやお弁当、9 個 200 円だった会津トマトを買い、蕎麦ソフトクリームを食べて会津若松に移動しました。
会津若松では、今年改築 50 周年の鶴ヶ城(会津若松城)ではなく飯盛山に行きました。
私にとっては小学校の修学旅行以来、ちょうど 30 年ぶりに訪れた飯盛山でした。
ここで旧会津藩のため、日本のために亡くなられた白虎隊士 18 人のお墓と旧会津藩約 200 人の女性達を祀った慰霊碑に一礼をして写真撮影しました。
白虎隊は会津の街が戦火に遭っているのを鶴ヶ城が燃えていることと勘違いして自刃したわけではなく、実際は会津が敗れたことに責任を感じて自刃したそうです。合掌。
白虎隊自刃の地を見た後はさざえ堂に寄りました。時計回りに塔を上っていくと頂上で下りになり、今度は左回りに下りて出口。不思議な建物でした。
・・・あえて書いておく、こういう貴重な文化財産にも落書きをするバカ。同じ日本人として恥ずかしい。
さざえ堂から少し下った場所にある猪苗代湖から水を引いている用水路に、白虎隊はこの洞穴を泳いでここまで逃げてきたんだ、と思いを馳せました。
会津の気温が 30 度を超えたところで汗だくになった我が家は会津若松駅すぐの富士の湯でリラックスしました。大人一人 400 円でいろいろな種類のお風呂に入れるおトクなスパでした。
富士の湯の後はひたすら上り坂。標高 800 m の休暇村裏磐梯に戻りました。会津若松の気温 32 度から裏磐梯 27 度に一気に戻りました。
キャンプ場に戻ったら夕焼けの磐梯山を眺めながら早速お酒。
会津トマトは冷やして丸ごと食べました。超まいう~でした。
父ちゃんがお酒を飲んでイイアンバイな間に女性陣はカレー作り。
今回食べたカレーはお世辞抜きで私の人生の中で一番美味しかったカレーでした。
家族が作ったカレーと、大好きな国民休暇村裏磐梯キャンプ場の雰囲気もあったのでしょうけれども、ホントにまいう~でした。
夕食後はお決まりの花火。
この時私は娘から「戊辰戦争って何だったの?」と聞かれまして、どのように説明すれば理解してくれるだろう・・・と物語風に説明しました。説明を聞いていた娘は泣いていました。理解してくれて良かった。
つづく。
Posted by SDI at 20:37
│福島:国民休暇村裏磐梯