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関東在住の埼玉県人で、ハンドルネームは LOUDNESS の代表曲『S.D.I.』から取りました。

最近は浦和レッズのゴール裏サポーターをお休みしてオッサン選手として陸上競技選手に復帰するべく練習する日々、

予定のない週末は外で静かな癒しを志向したい永遠の駆け出しキャンパーです。
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Posted by naturum at

2016年12月27日

年内最後のキャンプは日川浜 2016.12.23~12.24 (その2)

日川浜に前回行った時は、まあまあのキャンプ場かなぁ、と感じたのですが、今回は家族全員が「良いキャンプ場だった」と言いました。

奥の区画サイトだったから、より満足出来たのかもしれません。
区画サイトごとに水道が一基使えたことも良かったです。
キャンプ場に足りなかったモノは風呂だけでした(清潔なシャワールームは使えます)。

トイレと炊事場は隣接して誰も泊まっていなかったフリーサイトに建てられた場所を利用したのですが、利用した家族は我が家を含め犬同伴の 2 家族だけでした。

ということで前回の続きです。





翌朝、私は 7 時半に目を覚ましました。ぐっすり寝て思いっきり寝坊しました。








気温 6 度の朝で重ね着をさせたのに寒くて少し震えていたワン吉犬太郎でしたが、遊びたい気持ちが勝っていたようで、ヤツはずっと外にいました。








朝食は前日の夕食の出汁をベースにしたミネストローネとサラダとパスタ、それと前日に残ったフランスパンを焼いて食べました。


この後は 9 時過ぎからダラダラと撤収を始めて、チェックアウト時刻の 11 時キッカリにキャンプ場を出ました。


チェックアウトした後は信号のない直線道路を鹿島灘沿いに 6km ほど直進して右折、さらに直進して利根川に架かる有料道路のかもめ大橋を渡ってバーチーに入り銚子市内をショートカット、東日本大震災直後以来久々に旭市に向かいました。





旭市内では最近出来た道の駅季楽里あさひにチェックインしました。
季楽里あさひは小ぢんまりとしていながらも食材が豊富で家内が夕食の材料に迷っていました。





ココでランチにしました。

さんま寿司とさば寿司といわし寿司で迷って、さんま寿司のお弁当を買いました。
まいう~でしたが寿司は 4 貫で物足りなくて、炒飯おにぎりを買ったところ、これがメチャメチャまいう~でした!
家内は地元の食材を使ったお弁当、娘はさんま寿司と和菓子(?)で済ませていました。





ランチの後は我が家の女性陣が夕食の食材に 40 分も迷っている間、私はワン吉を散歩させていました。

東日本大震災で津波に遭った被災地の旭市で、癒される道の駅が出来たことには嬉しい気持ちになりました。

2011 年 6 月に震災地のボランティア活動をしておられたかたの影響で、物資の提供の他に津波被害を目の当たりにした時に、某浦和レッズサポーターのコミュニティに上げた私自身の日記を当時の原文ママに一部掲載します。


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そういやオレ、最近被災地の人達のことを考えたことってあったっけ?と思いまして、とりあえず交通もほぼ戻っているようですし、千葉で災害指定地域(旭、佐原、我孫子、浦安など)になっている中で広い範囲で深刻な被害を受けている銚子方面に車で行くことにしました。別に何が出来るというわけでもなかったのですが。

(...中略)

銚子と旭の境目にある飯岡という地域が今回の震災で深刻な津波被害に遭った場所です。400戸以上の家屋が全壊し、死者10名以上という地域です。


まず飯岡灯台から町並みを眺めたのですが、目についたのは飯岡漁港の脇に山積みされた瓦礫群くらい。上から見下ろすと、他に何も変わった様子はありませんでした。
飯岡灯台はそれほどメジャーな観光スポットではないはずでしたが、30人くらい人が来ていました。上からデジカメで瓦礫の山を撮影している人や、募金活動をしている人もいました。

でも、飯岡灯台周辺の民家は全く無事でしたし、田畑も以前見たものと全く変わっていませんでした。

そこで飯岡漁港周辺まで車で降りまして、海岸線をゆっくり走ってみました。



ああ・・これが津波被害に遭った地域か。。。



上から見ても全然分からなかった。

海から数十メートル離れた場所に建っていたはずの住宅が、基礎だけを残して後かたもない。

残っている家屋はあるにはあります。
カメラを持って行きませんでしたので言葉では伝えづらいのですが、皆で整列して、せーの!で自分の隣の人とか斜め前の人とかが一斉に、まばらに消えてしまうような、そんな感じで街が残っていました。

防潮堤の高さは陸側から見て2~3メートルくらい、すぐ脇の道路を隔てて道路沿いから、次に平行して伸びている道路の手前くらいまでが生きている街の感覚がありません。防潮堤から陸地に向かって歩いて2分くらいの幅で、こんな状態が海沿いに続いています。

無事だった家屋も一階は何か凄まじいパワーのものが打ち込まれた跡のように穴が空いていたりとか、部屋の一部がパックリ切断されていたりとか、鳥居だけが残った神社、立派な建物に窓ガラスのない病院(駐車場は立ち入り禁止)、地域の福祉センター裏手の瓦礫の山、壊れた壁や窓や戸を2階まで木の板で覆って、それでも人のいる気配のない店舗とか、そういえば飯岡海水浴場も瓦礫の山がありました。


海沿いに500メートルくらいの範囲での話です。
三陸のように入り組んだ地形ではありません。九十九里浜の北端です。
それが何でこれだけ大きな津波の被害に遭ったんだろう。
(元禄地震の時は銚子にも大津波が来たそうですが)


津波が来た時、この地域の皆さんはパニック状態になり、車で逃げようとして渋滞が発生、そして波に飲まれたという被災者のインタビュー記事を、以前読売新聞で知りましたが、この一帯は高台といえば狭くて小さな飯岡灯台から銚子方面に行く国道126号線以外はありません。


雨も上がって穏やかになりつつあった旭市飯岡地区の海を車から横目に見て、特に周囲に波を遮る陸地や島もないこの地域で・・ここから御宿方面まで同じような地形や住宅の並びが続いているのですが、この状況を見て言葉を失い、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするしか、ただ見に来ただけの私には出来ることはありませんでした。
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あの忌まわしい震災から 6 年が経とうとしている現在、まだ復興途上のような印象を持った旭市でしたが、道の駅一つを見るだけでも、「頑張ろう!旭」というステッカーを見ただけでも、なぜか自分が励まされたような気持ちになった不思議。これは福島の小名浜に行った時も同じ感覚で、人間の持つ力強い生命力(と表現するには不謹慎かもしれませんが)を感じました。


旭市の飯岡近辺は九十九里でも新鮮な魚介類が買える地域で(オススメは白魚)、他にも和菓子なども名物があるので、近いうちにまた日川浜に行って、帰りにこちらに寄りたいと思いました。


で、この後は外で遊び足りないワン吉を我が家から近いドッグランで 1 時間半くらい遊ばせて夕方に帰宅しました。


日川浜の次回ウェルカムキャンプ(一泊レイト付きで 1,000 円)は来年 2 月なのでしょうかね。
   
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2016年12月25日

年内最後のキャンプは日川浜 2016.12.23~12.24 (その1)



今年 23 回めにしておそらく今年最後のキャンプは日川浜(にっかわはま)に行ってきました。




クリスマスシーズンの 3 連休なのに静かで、試用期間とはいえワン吉犬太郎も OK を頂けた公営のキャンプ場は家族全員が楽しめていたようで良いキャンプになったと思います。




今回娘が選んだ車内鑑賞用の DVD です。毎度の Superfly でした。




行きは高速を使わずに利根川沿いに水郷ライン(国道 356 号)を銚子方面に向かいました。
途中で佐原のベーカリーショップシュシュに寄りました。
シュシュはカンブリア宮殿にも取り上げられたピーターパンのお弟子さんのお店です。

久しぶりに寄ったシュシュで食べたパンは、自家製牛すじカレーパンと明太子の入ったパイスープのようなパンとクリームパン。全て生地(食感)が違っていて、ラーメンのような奥深さを感じました。




昼食の後は佐原市内の小見川にあるコメリで薪を購入。木材に強いホームセンターのコメリは年中薪と木炭が手に入ります。しかも質がイイです。



小見川大橋を渡り利根川、常陸利根川を越えて茨城県神栖(かみす)市に入ったらスーパー、カスミで食材を購入。日川浜には 14 時頃にチェックインしました。







キャンプ場ではペット同伴の試用期間ということもあって一番奥の 39 番サイトを指定されました。
もともと管理棟近くの区画であれば、前回ラブラドールの雌くらいの中型犬の雄が放し飼いで場内に入り込んできて追い払ったこともあり( 2 年前ですけど)、奥を希望していたので我が家にとっては願っていたことでした。






入口から早歩きで 4 分、フリーサイトすぐ隣の一番奥はクリスマスの 3 連休でも空いていました。



前回夜間に音が気になった向かい側にある JFE の工場も静かでした。












設営が終わったらワン吉の散歩を兼ねて鹿島灘(日川浜)の砂浜に行きました。




日川浜から帰った後はお酒。





この日は最高気温が 19 度で暖かい一日でした。










夕食はグラタンとブイヤベースと、シュシュで買ってきたフランスパンでした。

幸せな気分で笑いが絶えなかった夜は 21 時頃に就寝しました。

久々のファミキャンが、こんなに楽しかったとはなぁ~。


つづく
   
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2016年12月12日

ブログの不調・・・

今日、スマホから昨日のブログの誤字脱字の修正と過去ログからの引用をしようとしたところ、たまたま見つけた 10/17 の投稿、ルヴァンカップ決勝のの誤字を修正しようとしたら、その日の写真全てと文章が途中から消えまして、今日の投稿として上がってしまいました。


考えられることは、地下鉄車内から Wi-Fi が切れて 4G になっていたのに修正ボタンを押し続けていて、画面が切り替わらないからブラウザを落としたことではないか、と。


いつも長文を上げているだけに、萎えます orz


途中までは元に戻しましたけど。。
 
  
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Posted by SDI at 22:06【泣き言(T△T) 】

2016年12月11日

【CS ファイナル】浦和レッズ 1-2 鹿島アントラーズ



12 月 3 日の土曜日は、ホーム埼玉スタジアムでリーグチャンピオンシップ第 2 戦、鹿島を迎え撃ちました。

あれから一週間以上が経ったのですが、その間書く時間がなかったので今さらながらアップします。。。


冒頭で述べておきますが、J リーグ2 ステージ制&チャンピオンシップ形式が決まったことを最後まで反対していた人達は浦和レッズサポーターを中心としたサポーター集団であり、浦和レッズのフロントでした。これを J リーグの人気向上を理由に強行に決めてしまった J リーグ。2 年前のことです。



レッズは今回年間勝ち点「74」で J1 リーグ年間勝ち点数で歴代最多タイ記録、対する鹿島は「59」でリーグ戦全日程を終えました。

結果はチャンピオンシップ 2 試合の結果(両チームの 1 勝 1 敗で得失点数も両チーム 2 得点 2 失点、アウェイゴールを 2 倍換算で 2 試合の合計は 3-4 )によりレッズの年間 2 位が確定しましたが、これに近いことが 2004 年にもありました。

当時 16 チームだった J1 で年間勝ち点「62」の 2nd ステージ王者のレッズと、年間勝ち点「59」の 1st ステージ王者のマリノスが年間王者を決めるチャンピオンシップで当たり、両チーム 1 勝 1 敗で得失点数も両チーム 1 得点 1 失点、PK 2-4 でマリノスが年間王者になりました。


今年のチャンピオンシップが当時のように「1st ステージ王者の鹿島 vs 2nd ステージ王者のレッズの年間王者決定戦」であればフェアだったと私は思います。ところが、年間勝ち点をチャンピオンシップの仕組みに導入したことで、にも関わらず年間 1 位のチームに殆どアドバンテージのなかったチャンピオンシップ。これが野球のクライマックスシリーズであれば、レッズに 1 勝のアドバンテージ・・・はムリだから 2 得点くらい予め与えられて、1 勝 1 敗であれば PK 決着にするとか、来季からバグをフィックスしてもらえるのかといえば「来季から 1 ステージ制に戻す」という安直な修正。つまり昨年と今年の制度は「ダメだった」と事実上 J リーグが認めた(検証は終わった)ということになります。




一年を通して結果を出してきたチームが一番強いはずのリーグ戦、そしてサポーターを含め浦和レッズに関わる全ての人達が積み上げてきた大切な思いが、このようなかたちで終わってしまったことには残念としか言いようがありません。

仮にレッズが優勝して「この仕組みは間違っている」と言ったとしても、年間勝ち点 1 位のチームが勝って言うことにリアルな説得力はおそらくなくて、もしかしたら将来また 2 ステージ制が戻ってくる可能性もある、そう考えると 2 ステージ制移行にあたり実施を最後まで反対したクラブが当事者となってしまった皮肉と J リーグに対するインパクトは後々まで強烈に残るのではないか、と個人的に思います。





私は優勝した鹿島を非難するつもりは全くありません。
ただ、昨年と今年の仕組みは明らかにバグがあったこと、その結果クラブや選手、サポーターに大きな失望を与えたものであり、年間勝ち点「59」で優勝としたクラブを今年の日本を代表するクラブとしてクラブワールドカップに送り出す J リーグは今回の結果を「グローバルスタンダードな仕組みなのかどうか」という点で、よく検証してもらいたいです。

今回の結果は、年間首位のレッズと年間 14 位のジュビロとの直接対決の結果と全く同じだということ、それとリーグ形式とノックアウト形式の性質の違いが昨年と今年のチャンピオンシップ実施によって「リーグ戦の意義」が問われる結果になったということを個人的な意見として提示したいと思います。

年間優勝を懸けて戦うゆえに、J2 の 3~6 位チームで争われる J1 昇格プレーオフとも似ているようで質は異なります。


相撲にたとえれば、15 勝した力士と 14 勝 1 敗の力士と 12 勝 3 敗の力士の間で優勝決定戦をやるようなもの。

仕事でいえば、取引先の企業の責任者が「こういうビジネスの仕組みを構築したいから提案をしてほしい。内容と価格を出してもらった上で、やっぱり最後は提案内容は全く参考にしないで価格のみで決めるから、ベンダーにはもう一度価格を出し直してもらう。1 円単位で一番安かったところに発注する。内容が良くても 1 円の差で 2 番手であれば採用しない」という条件で当初から提案依頼を受けたらマジメに提案をしたいと思うベンダーはいるのかよ、と私は思います。
ただ、企業の競争でいえば採用されたベンダーが「勝ち」には違いないという、それだけです。そこは結果として発注元が認めたのだから「正しい」のです。


 


話を当日に戻します。



好きでチャンピオンシップに参戦したかといえば微妙ではありましたが、それでも 1st レグを 1-0 で勝って、この試合で 0-1 以上であれば年間優勝が決まるレッズ。アジア王者として日本のクラブでは初めて出場したクラブワールドカップの、あの時の夢のような時間がまた味わえるだろう、それが決まる瞬間に立ち会いたかった私と、“ あのレアル・マドリード ” とレッズが戦えるかもしれない、という夢を持って現地参戦した娘でした。




また世界にチャレンジ出来るかもしれないレッズに大きな期待を持って日の丸が入った国際仕様のユニを着て現地に行った娘でした(2015 年ユニですが)。






今回もサポ仲間さんのご好意で北ゴール裏前段でレッズを後押し出来た幸せ。


試合前に全てのスタンドのレッズサポーターが立ち上がってレッズを後押ししたことには鳥肌が立ちました。初めて見た光景でした。この時埼スタにいた観客数は 5 万 9,000 人を超えていました。


立ち上がりのレッズは攻撃と守備のメリハリが効いていて、ボールのつなぎもテンポが良く、集中して試合に入れていました。


そして開始早々に高木のクロスから興梠が絶妙なタイミングで足を伸ばして先制!

この時、我々レッズサポはレッズの年間優勝を 99% 信じて歓喜しました。


ところが前半 30 分を過ぎたあたりからレッズは鹿島に最終ラインを上げられて自陣に押し込まれ、シャドー(特に高木)は自由に動けるスペースを失い始めました。そして前半終了に近い 39 分に同点ゴールを与えてしまいました。

嫌な時間に同点ゴールを与えてしまい、後半に修正出来るかな、、と私は期待したのですが、後半に入り青木と忠成の 2 枚同時投入のはずが青木のみ投入で柏木をボランチからシャドーに上げるかたちになり、その 2 分後にはまだ動けると感じた関根を下げて駒井を投入したミシャ。それでも鹿島ペースで進む中、後半消えていた興梠を下げてズラタンを投入。


・・・この後、槇野が自陣ペナルティエリアで微妙な倒しかたによりイエローを貰い、鹿島に PK を与えて 2 失点めとなりました。。


2 失点してからようやくペースを引き寄せられたレッズでしたが、鹿島ゴール前でのパワープレーに忠成を投入出来る交代カードはなく(忠成は 1st レグで肋骨を骨折)、最後の決定的なチャンスも優勝の味が薄いのか、武藤のシュートはやや焦った感のあるキックでボールは虚しく鹿島のゴールバーの上へ。






前半の途中に押し込まれてから殆どペースを取り戻せなかったレッズは、1st レグは勝利したものの 2nd レグを 1-2 で落として、結果年間王者を鹿島に譲ることになりました。


この後がとてもつらかったです。

娘が「私が後押ししたから負けたんじゃないか。タイトルが懸かった試合に私が行くとレッズは勝てない」と半べその表情で下を向いていました。

「いや、そうじゃないよ。悪いのはJ リーグだから。J がアホなんだよ。レッズは一年間で一番強かったんだよ。今年目の前で見てきただろ」と私はスタジアムを後にするまで娘を慰めました。


この試合の結果に一番つらい思いをしているのは選手達?違うだろ!
浦和レッズの歴史は選手達とサポーターとクラブが一緒になって築いてきたものです。

我が家の 7 歳児の泣きそうな顔、今まで積み上げてきた浦和レッズに関わる人達の思いは軽くないんですよ。


レッズは鹿島に負けました。

内容もよくなかったです。

今年もまたタイトルに王手をかけたところで負けました。

でも、来季はチャンピオンシップのないシーズンに戻るのですよね。

J リーグの村井チェアマン、「チャンピオンシップ 3 試合(川崎 vs 鹿島、レッズ vs 鹿島)で 10 万人以上の観客動員があった」とは、超がつく各論ですよね。もともと目指していたものはうまくいきましたか?

2 ステージ制を決めた当時のチェアマンは村井さんではないとは言わせませんよ。
元レッズの監督(レッズを J2 に落とした実質的な張本人)の原理事長と一緒に責任を取ってもらいたいです。
今季の検証をしっかりとやってもらった上でね。
 


この仕組みの中で敗者扱いになったレッズ、勝者扱いになった鹿島に対しては不公平感を述べるつもりはありません。

この仕組みそのものに大きなバグがあることを J のトップは目を逸らさず受け止めてもらいたいです。


この試合の負け惜しみを超えて、あまりにも残酷な今シーズンの締め括りでした。
 
フランス人指揮官もJ「王者」決定方式に疑問。「浦和がチャンピオンだ」

鹿島・昌子源も困惑した2S制。「やってる方はもういい」。勝ち点差15のCS優勝に感じた戸惑い
 
Jリーグチャンピオンシップで負担を強いられたのは誰?・・・「汚点」と記憶するしかないチャンピオンシップ制度

浦和レッズ 1-3 ガンバ大阪 【チャンピオンシップ準決勝】 ※2015 年チャンピオンシップ
 
   
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Posted by SDI at 18:32【浦和レッズ】

2016年12月03日

その後の野田市スポーツ公園

今朝、帰玉ついでに野田市スポーツ公園に寄ってみました。




10 時頃に 10 分ほど寄っただけだったので、昼間の公園の雰囲気ではありませんでしたが、火の使用に制限のなかった今年の夏までと比べると、かなり静かな園内でした。






誰もいなかった土曜日の公園。






きれいな園内でした。




我が家も何回かお世話になった公園です。




以前は炭で真っ黒だった水道の周りも普通の状態になっていました。

これが一般的な市民公園の姿なのかもしれないなあ。。



注意看板は新しく設置されたようです。


トイレの終末感は相変わらずでした ( ̄~ ̄;)


特にオチはありませんが、久々に訪れた野田市スポーツ公園はこんな様子で、地元の方々に憩いの場所をお返ししたように感じられました。

今、私は野田市スポーツ公園には感謝しています。
 
  
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